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大阪地方裁判所 昭和27年(行)26号 判決

原告 寺内佐一 外一名

被告 大阪府知事、大阪市東住吉区西部農業委員会

主文

一、原告等の被告大阪市東住吉区西部農業委員会に対する第一位の請求を棄却する。

二、原告等と被告大阪市東住吉区西部農業委員会との間において、同被告が別紙目録記載の土地に対し、昭和二七年二月九日なした買収計画を取り消す。

三、原告佐一と被告知事との間において、大阪府農業委員会が昭和二十七年三月二八日原告寺内佐一に対してなした訴願棄却の裁決を取り消す。

四、訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「原告等と被告大阪市東住吉区西部農業委員会との間において、同被告が別紙目録記載の土地に対し、昭和二七年二月九日なした買収計画は無効であることを確認する。」との判決ならびに主文第三、四項同旨の判決を求め、右無効確認請求の容れられない場合の予備的申立として主文第二項同旨の判決を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

「大阪市東住吉区農業委員会(被告東住吉区西部農業委員会の前身―以下単に被告委員会と称する。)は昭和二七年二月九日寺内勝次郎(原告両名の父で昭和二二年一二月二日死亡)に対し、別紙第一、第二目録記載の土地を自作農創設特別措置法(以下単に自創法と略称する)第三条第一項第一号の農地として買収計画を立てた。右土地は勝次郎の死亡後原告等の母トメが相続し、同女の死亡後原告等が相続し、現在原告両名の共有である。(被告等は原告覚一は右土地につき相続権を放棄していると主張するがその様な事実はない。右土地に対し亡トメ名義で課せられている固定資産税は原告両名が共同負担している。)

原告佐一は右買収計画に対し異議の申立をしたが、被告委員会は昭和二七年二月二三日これを却下したので、更に同原告は大阪府農業委員会(農業委員会等に関する法律の昭和二九年法律第一八五号の改正法律附則26により被告知事が受け継ぐ以前の被告)に訴願したが、同委員会も同年三月二八日これを棄却した。

しかしながら、右買収計画には次のような違法がある。

(1)  昭和二十五年九月一日公布政令第二八八号、自創法および農地調整法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令(以下譲渡政令と略称する)第一条第二項によれば、「昭和二十五年七月三十一日以後新たに自創法第三条第一項各号もしくは第五項各号にかゝげる農地又は同法第四〇条の二第一項各号もしくは第四項各号にかかげる牧野に該当するに至つた土地についてはこれらの規定による買収は行われない」ことになつている。したがつて本件土地は自創法によつて買収できないものであるのに被告委員会は前記のとおり昭和二七年二月九日自創法によつて買収計画を立てたものである。

(2)  本件買収計画は寺内勝次郎に対してなされたものであるが、同人は昭和二二年一二月二日死亡している。被告委員会は死者に対して買収計画を立てたものである。

(3)  不在地主ではない。

寺内勝次郎は原告佐一の肩書地に居住していた。勝次郎死亡により、その妻トメが本件土地を相続したが、同人も昭和二五年九月二〇日同所で死亡したので、現在は前記のとおりその相続人である原告両名の共有である。

共有者の一人である原告覚一は二〇年余前から肩書地に居住し現在妻ヨネ、長女寿美子、長男敏充、二女充子、二男弘治、三女尚子、三男祥之が同居している。

もう一人の共有者原告佐一は昭和一五年頃から亡父母と共に肩書地に居住し、現在妻つま、長男能人、同人の内縁の妻竹中里子、二男勝彦が同居している。

原告佐一の訴願に対する大阪府農業委員会の裁決で「訴願人は昭和二五年四月大阪市南区日本橋筋に転出、かしわ販売業を営んでいることは訴願人も認めるところで生活の本拠は大阪市にあると認めざるをえない」といつているが、右は民法第二一条の解釈を誤つたものである。民法第二一条に「各人の生活の本拠をもつてその住所とす」とは、単にその人の営業所ないし店舖の所在地、又は自己および妻子の生活費の収入地をもつて生活の本拠、すなわち住所とする意味でないことは勿論である。もしもそのように解するならば大阪市のような社会的経済的活動の中心地の官公庁、会社、銀行あるいは自己営業所、店舖への通勤者はことごとく大阪市に住所を有するということになる。原告佐一は現在大阪市南区日本橋一丁目四八番地に店舖を有しかしわ販売業を営んでいるが、昭和一五年頃から亡父母および妻子と共に肩書地に居住していて、右店舖は営業所に過ぎない。たゞ営業の態様上昼食の仕度は容易であり、又帰宅のおそくなることもあり、更に業務の監督上営業所に宿泊せねばならぬこともあり、受配米の持ち運びには手数を要し、往々危険でもあるので、自己一人だけの配給籍を前記営業所に移したが、当時はまだ亡母も生存中であつたから、住所変更の意思は少しもなかつた。

(4)  別紙第一、第二目録記載の土地は小作地ではない。

第一目録記載の土地の現在の耕作者西野久雄の妻の父で不動産の仲介をしていた福島末造が二〇年前原告等の亡父勝次郎の処に出入りしていた時、休閑地利用につき承諾を求めて来たことはあるが、小作契約ないし賃貸借契約を結んだことはない。西野久雄は一度も小作料を払つたことはない。

なお西野久雄が使用していた第一目録記載の土地の東側にある宅地二〇〇坪は西野寅吉が無償で使用していたが、関係当局より原告等の養鶏場の移転を命ぜられたので、これに使用するため、これらの土地の返還を福島末造、西野久雄に求めたところ、末造、久雄、寅吉は原告等に対し、「原告等が寅吉に対し二〇、〇〇〇円を交付したら寅吉はその使用している右宅地二〇〇坪を返還し、久雄は別紙第一目録記載の土地を昭和二七年一二月末に返還する」ことを約したので、原告等は寅吉に二〇、〇〇〇円を交付し、右宅地の方は既に返還を受けた。

又第二目録記載の土地は耕作の目的に供されている土地でもなく、永小作権又は質権に基づきその業務の目的に供している小作地でもない。右土地は昭和二六年頃まで原告覚一が耕作していたが、その後今日まで原告覚一の協力の下に原告佐一が営んでいる養鶏業に附随する鶏糞の乾燥場に使用しているものである。

以上のごとく、右買収計画にはかしがあり、そのかしは重大かつ明白であるから、本件買収計画は当然無効である。よつて被告委員会に対してはこれが無効確認を、被告知事に対しては原告佐一の訴願を棄却した裁決の取消を求めるものである。

もし右かしが無効原因に当らないときは、被告委員会に対しては右計画の取消を求めるものである。

なお、共有者の一人である原告佐一より異議訴願しているので原告覚一より異議、訴願はしていなくても、本訴提起は適法である。本件買収計画はそ及買収であるとの被告委員会の主張事実は争う。」

(証拠省略)

被告知事は、「原告寺内佐一の請求を却下する、原告岩井覚一の訴を却下する、訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、

被告委員会は、本案前の申立として、「原告等の訴を却下する訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、本案につき、「原告等の請求を棄却する」との判決を求めた。

被告知事は、本案前の抗弁ならび本案の答弁として次のとおり述べた。

(本案前の抗弁)

「原告等は、本件土地はトメの死亡後原告等の共有に属すると主張するが、原告覚一は事実上本件土地の相続権を放棄しているから真実の所有者は原告佐一で、この事は異議申立、訴願をしているのは原告佐一のみであることからも認められる。したがつて原告覚一は所有権者でないから、訴願の取消を求める訴の利益がない。同原告の訴は却下されるべきである。」

(本案の答弁)

「原告等の主張事実中被告委員会が原告主張の日に別紙第一、第二目録記載の土地に対し、自創法第三条第一項第一号により買収計画を立てたこと、これに対し、原告佐一より原告主張のとおり異議、ついで訴願があり、これが棄却されたこと、本訴願棄却の理由として裁決者に原告佐一の住所に関し、原告等主張のとおり述べていること、原告等の父勝次郎が別紙第一、第二目録記載の土地を所有し、原告佐一の肩書地に居住していたところ、昭和二二年一二月二日同所で死亡したこと、同人の妻で原告等の母トメが右土地の所有権を相続により取得したこと、同女は昭和二五年九月二〇日死亡したこと、原告覚一は二〇年余前より肩書地に居住していること、別紙第二目録記載の土地は原告覚一が耕作していたことは争わないが、その余の事実は争う。

(1)  譲渡政令第一条第二項によれば、昭和二五年七月三一日以後新たに自創法第三条第一項に該当するに至つた土地については自創法を適用しない旨規定されているが、本件土地は昭和二五年七月三一日現在において原告等の母トメの所有地であり、同人は南区日本橋にある原告佐一の住所にその住所を有していたのであるから本件土地は昭和二五年七月三一日以前から買収計画の時に至るまで不在地主の所有する農地であるから、小作地である限り自創法の適用あるものである。

(2)  原告等は買収計画が亡寺内勝次郎に対してなされていると主張するが、買収計画は佐一を所有者としてされているから右主張は理由がない。

(3)  トメは日本橋において月の大半居住し、原告覚一の処に月二、三回程度行つていたに過ぎない。原告佐一は月の大半日本橋に居住し、かつ日本橋において営業すると共に、納税、選挙権の行使、配給米の受配等も日本橋においてしているのであつて、時々鷹合町の家に行つて滞在することがあつても、これをもつて東住吉区内に住所があつたということはできない。

(4)  第一目録記載の土地は西野久雄が賃貸借により、第二目録記載の土地は原告覚一が使用貸借により昭和二五年七月三一日当時は勿論それ以前より原告佐一より借り受け耕作の目的に供しているものであるから、小作地である。」

被告東住吉区西部農地委員会は本案前の抗弁ならびに本案の答弁として次のとおり述べた。

(本案前の抗弁)

「原告等は初、大阪府農業委員会のみを被告として訴を提起したが、昭和三〇年七月一四日被告ならびに請求の趣旨変更申立をし従来の被告の外に被告委員会(当時の名称は東住吉区東住吉農業委員会)を新たに被告に加えたものである。被告委員会に対する関係ではこれは新訴の提起と解するが、仮に被告とすべき行政庁を誤つたための被告の変更とすれば、買収計画の取消を求める訴は、その処分をした行政庁を被告として提起しなければならないことは明文で規定されている。したがつて被告とすべき行政庁を誤つたことは法に最も明るい原告代理人に故意又は重大な過失があつたもので、右の被告の変更は許されないから、被告委員会に対する訴は却下されるべきである。

別紙第一、第二目録記載の土地は原告佐一の所有で、原告両名の共有ではない。亡寺内勝次郎の遺産分割につき、各共同相続人等は昭和二五年九月二〇日に協定しているが、相続人の一人寺内トメは同日午後〇時二〇分死亡しているので、同人の死亡の見透しが確定的となり、同人の死亡を前提として急ぎ協定されたものであることは明白である。同協定に当り、トメの相続分即葬儀費用とし、同人の葬儀一切の費用は原告佐一が負担し、したがつてトメの相続名義分は単に形式的なもので、原告佐一が負担した葬儀費用等と相殺され、当然原告佐一の所有に帰したものである。本件買収計画に対し、異議の申立をなし、ついで訴願したのも原告佐一のみで、原告覚一はしていない事実よりみてもこのことは明らかである。原告覚一は所有権を有しないから、訴を提起する利益がなく、仮に共有権者としても、異議、訴願をしていないから本訴のうち買収計画の取消を求める部分は不適法である。」

(本案の答弁)

「被告委員が原告主張の日に、別紙第一、第二目録記載の土地について自創法第三条第一項第一号の農地として買収計画を立てたこと、これに対し原告佐一から原告主張のとおり、これが棄却されたことは争わない。

(1)  譲渡政令第一条第二項により自創法による買収がすべて打ち切られたものではない。同条文の反対解釈として昭和二〇年一一月二三日現在の事実に基づく買収、すなわち、いわゆるそ及買収はできるし、又自創法施行後(すなわち昭和二一年一二月二九日以後)昭和二五年七月三〇日までの間に一度でも自創法第三条第一項各号又は第五項各号に該当していた農地の現在買収はできるわけである。被告委員会のなした本件買収計画は後に述べるようにそ及買収計画なのであるし、本件土地は昭和二五年七月三一日以後新たに自創法第三条第一項第一号の農地に該当したものではない。

(2)  本件買収計画は昭和二〇年一一月二三日現在の事実に基づいて定めた、いわゆるそ及買収であるので、便宜上当時の所有者である寺内勝次郎を表示して原告佐一に買収計画がなされた旨を通知したものである。

(3)  昭和二〇年一一月二三日現在において、当時の所有者寺内勝次郎は、原告佐一の肩書地に居住していたことはなく、不在地主であつたし、なお買収計画樹立当時においてもその相続人原告佐一もまた不在地主である。

右亡勝次郎は大阪府中河内郡布忍村大字向井三六〇番地に居住していたが、昭和一三年四月一九日以後大阪市南区日本橋一丁目四八番地に転居し、同所で鶏肉の販売、鶏肉の料理を提供する料理店を経営し、今日原告佐一経営の「とり鹿」の基礎を築いたもので、当時五七歳の動き盛りであつた勝次郎は東住吉区鷹合町一三二番地の四(原告佐一の本籍地)に別宅として将来老後の隠居所を予定して木造瓦葺住家(一階三一坪二合五勺二階坪二三坪二合三勺)を新築し、昭和一九年二月一七日中河内郡布忍村大字向井三六〇番地より前記場所に本籍を移したが居住することなく、従来どおり前記日本橋に居住し営業に従事していた。昭和二二年七月一日病気となり、一時病気療養の目的で前記隠居所で静養し、日赤中野分院山田医師の治療を受けていたが、昭和二二年一二月二日発病以来五ケ月にして同所で死亡したが、それは病院に入院中に死亡したのとなんら変るところがない。

亡トメは夫勝次郎とともに日本橋に居住しその営業を助け、夫の死別後昭和二四年一〇月五日本籍地である前記隠居所に引き揚げ、居住していたが、昭和二五年九月九日病気となり、同年同月二〇日死亡した。

原告覚一は昭和一九年七月二七日住吉区住吉町一〇七番地の二より現住所に本籍ならびに住所を移し、原告佐一は大阪市南区東町三番地に居住、父勝次郎同様鶏肉の販売をしていた。昭和二〇年三月一三日の空襲により翌一四日原告佐一、長男能人、次男勝彦の三人が一時的に本籍地である父母の前記隠居所に疎開したが、原告佐一は昭和二五年四月一七日南区日本橋一丁目四〇番地へ転出、同所を住所とした。原告は同所を住所とする意思はなかつたというが、営業の態様上、営業は主として夜間に限られ閉店は深夜にわたるを常とし、業務の監督、現金収入の整理等があり、同所を住所としなければ到底営業をつゞけることはできないものである。本籍地には長男能人が世帯主として居住し、同居人高田恵、神戸磯吉、植田美智子、三浦清次郎、浜田裕一、同幸子、更沙政子、岡田武、竹中里子等が同居し、使用人の寮的存在である。

(4)  第一目録記載の土地は西野久雄が賃借権に基づき耕作の業務に供している小作地である。原告主張のように昭和二七年一二月末に返還することを約したことはない。原告佐一はその経営する養鶏場の移転を関係当局より命ぜられ、その移転する場所として第一目録の土地および隣接の農地で西野寅吉が小作している畑六畝一一歩のどちらかを明け渡してほしい、その代り補償として、一方を無償で譲渡すると申し入れて来たので、人が入つて種々折衝の末、西野寅吉が小作していた土地を原告が離作料二五、〇〇〇円を支払うことにより原告佐一に返還することになり、西野久雄は原告佐一よりの最初の申し入れの時、第一目録の土地は無償で譲渡されることになつていた関係上、自然滞納の形になつていた小作料を支払うこととなり、昭和二六年五月六日西野久雄は原告佐一に五、〇〇〇円を小作料として提供し、原告佐一はこれを離作料の一部に充当し、自己の二〇、〇〇〇円と合わせて二五、〇〇〇円を西野寅吉に支払つた。

原告等は別紙第二目録記載の土地は原告覚一が昭和二六年頃まで耕作していたと主張するが、同原告が耕作していたことはとりもなおさず右土地が農地であることを自認しているものであり、又同原告と世帯を異にする父勝次郎の農地を使用貸借による権利に基づき耕作の業務に供していたものであるから小作地である。」

(証拠省略)

理由

被告委員会が昭和二七年二月九日別紙第一、第二目録記載の土地につき買収計画を立てたこと、右土地は元原告等の亡父寺内勝次郎の所有であつたこと、原告佐一が右買収計画に対し、被告委員会に異議の申立をしたが、昭和二七年二月二三日却下され、更に大阪府農業委員会に訴願したが、昭和二七年三月二八日棄却されたことは当事者間に争いがない。

(一)  原告覚一は本件土地の所有者でないから訴の利益がないとの被告両名の主張について。

本件土地が元原告等の父寺内勝次郎の所有であつたこと、右勝次郎が昭和二二年一二月二日死亡したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一一、第一四号証によれば勝次郎の相続人寺内トメ、原告佐一、原告覚一、尾崎正春の間で、勝次郎の遺産の分割につき協議の結果、本件土地はトメの相続すべき財産とされたことが認められ、原告等の母である右トメは昭和二五年九月二〇日死亡したことは当事者間に争いがない。したがつて、本件土地はトメの死亡により原告覚一において特に相続を放棄した証拠のない以上(相続の放棄は民法第九三八条により、家庭裁判所への申述という方式によらねばならないのが、そのような証拠がない)トメの相続人である原告両名の共有に帰したものと認めるのが相当である。被告等の右主張は採用できない。

(二)  原告覚一は、本件買収計画に対し、異議、訴願をしていないから本訴のうち、買収計画の取消を求める部分は不適法であるとの被告委員会の主張について。

原告覚一がみづから異議訴願していないことは同原告の認めるところであるが、原告佐一が異議訴願していることは前記のとおり当事者間に争いがない。

ところで法が訴願前置主義をとつているのは、当該行政処分の当否につき、これを是正する権限ある行政庁に再考の機会を与えあわせて裁判所の負担軽減を図る目的に出たものである。共有物は共有者全員の所有に属するから、買収計画の立てられた土地について共有者の一人が異議、訴願をしている場合には、右訴願前置の法の要請はみたされているものというべきである。のみならず、異議訴願をなすことは共有物の処分行為でないことはもちろんその利用及び改良行為でもない。それは共有者全員のために単独でなすことをうる保存行為の一種とみるのが相当である。成立に争いのない甲第三号証によれば、本件土地は登記簿上は母トメの所有名義に登載されているが、原告佐一と実弟の共有に属し原告佐一が管理しているものであることを表明して原告佐一において訴願に及んでいることが明らかである。これ以上に原告覚一からも別途に訴願されなければならないとする必要と実益はどこにあろうか。被告委員会の右主張は理由がない。

(三)  被告委員会への被告の変更は許されないとの被告委員会の主張について。

原告は本訴の中途までは大阪府農業委員会のみを被告として(一)大阪市東住吉区農業委員会がなした買収計画の無効確認と予備的にその取消(二)大阪府農業委員会がなした訴願棄却の裁決の取消とを求めていたのを、昭和三〇年七月九日当裁判所に提出した「被告ならびに請求の趣旨変更の申立書」と題する書面で、被告大阪府農業委員会の外に、被告委員会を新たに被告に加え、従来の被告大阪府農業委員会に対しては前記(二)の請求にとどめ、(一)の請求は新しく加えた被告東住吉区東住吉農業委員会に対して求めることゝしたものであることは本件記録上明らかである。

都道府県農業委員会は訴願裁決庁として市町村農業委員会の買収計画に対する訴願手続において、これを取消、変更する権限を有するのであるから、裁決庁の訴願に対する実体につき審理した上、買収計画の適法性、妥当性を是認して訴願を棄却する裁決をした場合には、裁決庁を被告として、裁決の取消を求めるとともに、その訴において、あわせて買収計画の取消を求めることは行政事件訴訟特例法第三条に違反するものではないと解する。したがつて、本件の場合、原告等は、当初のとおり裁決庁のみを被告としたまゝであつても、自己の権利と利益の保全を図るに格別の支障は生じないわけである。しかしながら、買収計画についての取消ないし無効確認の訴の本来的被告適格は、いうまでもなくその計画をした地区農業委員会にある。都道府県農業委員会は、裁決庁として前述の場合に、いわば副次的もしくは添加的に、被告適格を帯有するにすぎない。しかも裁決庁は「その処分をした行政庁」ではないのであるから、原告において、裁決庁は原処分の取消ないし無効確認の訴につき被告適格を有しないと考えるに至つて、本来的に被告適格を有する原処分庁への被告の変更の挙に出ることのあるのは極めて自然の数である。かような場合における被告の変更は特例法第七条に準じて許され、かつ、同条の被告の変更としての効力を有するものと解するのが相当である。もつとも同条第一項但書にあたらないことは上述のところによりすでに明白であろう。以上と反対の見解に立つ被告委員会の右主張は採用できない。

(四)  次に本案につき判断する。

(1)  譲渡政令施行後自創法による買収はできないとの原告等の主張について。

譲渡政令第一条第二項は「昭和二五年七月三一日以後新たに措置法第三条第一項若しくは第五項各号にかかげる農地又は同法第四〇条の二、第一項各号若しくは第四項各号にかかげる牧野に該当するに至つた土地については、これらの規定による買収は行わない」と規定している。この規定は昭和二五年七月三一日以後はじめて自創法の定める買収要件を具備するに至つた農地(牧野のことはしばらく別とする)に関するものであり、譲渡政令第二条第一項とあいまつて、かような農地には自創法を適用することを許さず、譲渡政令のみをもつて律することを明らかにしたにすぎないものである。この規定が昭和二五年七月三一日以後はすべての農地についても自創法による買収を許さないことを定めたものでないことは明文上疑いを容れないのであつて、昭和二五年七月三〇日以前から自創法による買収要件を具備していて、それまでに買収の行なわれなかつた農地について譲渡政令施行後において自創法による買収を妨げるものでは全然ない。以上と異る原告等の右主張は失当である。

(2)  不在地主かどうか。

被告委員会は本件買収計画はそ及買収であると主張し、原告等はそ及買収であるとの点は争うところであるが、成立に争いのない乙第一号証に明らかなとおり、本件買収計画は「寺内勝次郎相続人寺内佐一」として立てられていること成立に争いのない甲第一号証に明らかなとおり買収計画の通知は寺内勝次郎宛になつていること、成立に争いのない甲第六号証に明らかなとおり本件土地については昭和二五年九月二一日受付をもつて寺内トメ名義の所有権取得登記がなされていること、以上の事実に証人高橋巖の証言を綜合すれば、本件買収計画は、そ及買収であることが認められる。甲第四号証によれば訴願の裁決では本件買収計画を現状買収として取り扱つていることが認められるが、このことは必ずしも前記認定を妨げるものではなく、他に反対の証拠はない。

本件土地が原告等の父亡勝次郎の所有であつたこと、右勝次郎は昭和二二年一二月二日死亡したこと、昭和二〇年一一月二三日現在における本件土地の所有者が右勝次郎であつたことは当事者間に争いがない。

そこで昭和二〇年一一月二三日現在、右勝次郎の住所が東住吉区外にあつたかどうかにつき検討するに、成立に争いのない甲第一六号証、第一七号証、乙第九、第一〇号証に証人山本正治、同佐々綱雄の各証言、原告両名本人の各供述を総合すれば、勝次郎は昭和一五年頃原告佐一の肩書地東住吉区鷹合町一三五番地に家屋を新築し、同所には原告等の祖母タミ、原告佐一の子、能人、勝彦と女中とを住まわせ、勝次郎夫婦はひきつゞき南区日本橋にある家で商売をして来たが、昭和一八年頃企業整備の結果、個人営業が不可能になり勝次郎夫婦は前記鷹合町の家に引き揚げ、原告佐一夫婦が日本橋の家に残つたが、昭和二〇年三月一三日の空襲により右日本橋の家が焼失したため、原告佐一等も鷹合町の家に引き揚げたこと、東住吉区農地委員会は本件買収計画より以前にも一度寺内勝次郎所有の農地を不在地主の小作地として買収計画を立てたことがあり、これに対する異議申立につき、同委員会は一旦は右申立を棄却したが、再調査の結果在村地主であることを認め、昭和二三年六月二日付で先の棄却決定を取り消していることを認めることができる。右認定を左右する証拠はない。

(3)  被告委員会に対する第一位の請求の当否について

前記認定によれば、被告委員会が昭和二〇年一一月二三日現在における勝次郎の住所は東住吉区にはなく、日本橋にあるものとして、いわゆる不在地主の小作地として立てた本件買収計画は違法である。右違法のかしは重大である。しかし本件買収計画は現状買収ではなく昭和二七年に立てられたそ及買収であること、人はその生活の本拠としては一個所を有するのみであるが、居所を他に有し、それが住所に近似する場合もあつて、いずれが住所であるか、居所であるか又その特定の個所が住所であるかどうかは必ずしも一見して判明しないこと、空襲による家屋焼失者の多くは他に住居を移したが、焼跡にバラツク等を建て仮住いを続けた罹災者も稀ではなかつたこと、以上の事情を考えあわせると、右違法のかしは客観的に明白であつたと認めることはできない。又本件の全証拠によつても昭和二〇年一一月二三日現在本件土地が小作地でなかつたと認めるに足りない。したがつて被告委員会に対し、本件買収計画の無効確認を求める第一位の請求は理由がない。

(4)  被告委員会に対する予備的請求及び被告知事に対する請求の当否について。

すでに明らかにしたとおり、本件買収計画にはいわゆる在村地主か不在地主かの認定を誤つた違法がある。したがつて、その余の点を判断するまでもなく、右買収計画は違法として取消を免れないし、右買収計画に対する原告佐一の訴願をいれなかつた裁決もまた違法として取消を免れない。右各請求は理由がある。

(5)  結論

よつて本訴請求のうち、原告等の被告委員会に対し右買収計画の無効確認を求める第一位の請求は失当として棄却すべく、原告等の被告委員会に対し右買収計画の取消を求める予備的請求、原告佐一の被告知事に対し訴願棄却の裁決の取消を求める請求はいずれも正当として認容すべく、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 中村三郎 山田二郎)

(別紙目録省略)

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